マネーキンが偏差値39の状態から東工大に合格するまで受験期に起きた一部始終をお話しします。

イスにもまともに座れず、全統模試で全科目偏差値39の状態からどのように成長したのか。

じつは、そこに至るまでにたくさんの絶望を経験しました。

もう、死にたい

親の前でそうつぶやいたこともありました。

これからすべてをお話しします。


時は高校2年生の1月にさかのぼります。

この頃、ぼくの学力は中学1年生レベル。

英語はbe動詞が分からない。数学は因数分解すらできない。他の科目なんて論外です。

もちろん、成績も最下位を連発し、先生からも目をつけられていました。

しかし、この時は成績こそ悪けれど、学校生活が楽しくて仕方がありませんでした。

クラスにはたくさんの仲のいい友達。部活も楽しくて、毎日が幸せでした。

そんな夢のような日々の中、学校に受験ムードが訪れました。


この時期に、ようやく志望大学が確定します。

目指すは東京工業大学(現:東京科学大学)。選んだ理由は、それほど大したものではありません。

とにかく偏差値の高い大学、かつ国語のセンスがなくても狙えそうなところ。

その条件にマッチしているのが東工大でした。

しかし、今までほとんど勉強をしたことがなかったため、なにをすればいいのか分からない。

そんなぼくは、まずイスに長い時間座る練習から始めました。

毎日すこしずつ座る時間を増やし、1ヶ月ほど経った頃にようやく数時間ほど勉強ができる体になりました。

とはいっても、これまで5年近くもサボってきた大きなツケがあるので、まずは周りのレベルに死ぬ気で追いつかなければなりません。

難関である東工大を志望しているにもかかわらず、基礎の基礎すらできていなかったぼくは、やや焦りを感じていました。

勉強をするようになったことで、自分の学力の低さを理解したからです。

この頃から、徐々に不安に駆られるようになりました。

このままだと東工大どころか、受かる大学すらないかもしれない

不安で仕方がありませんでした。

なんとかして、もっと受験に本気になって勉強をしないといけない

そうは思うものの、なかなか覚悟が決まりません。

そこでぼくは、そんな弱い心を打ち砕くために、同級生・先生・親に志望大学を伝え、必ず合格してやると宣言をしてみました。

もちろん、学年最下位の言うことなんて誰も信じません。

どうせ口で言っているだけだろ

いつものように冗談だと捉えられます。

しかし、朝早くから学校に行って勉強、休み時間も勉強、放課後も勉強。

そんな生活をしているうちに、徐々に周りが信じ始めました。

それがきっかけとなり、本気で応援してくれる人も現れ始めました。

しかし、その一方でぼくが偏差値の高い大学を目指すことを、快く思わない人も出てきました。


そんなある日。ぼくの携帯電話に1通のメッセージが届きました。

みんな知ってると思うけど、あいつ東工大を目指してるらしいぞ

あんな成績でよくそんなこと言えるよな

可能性なんてあるはずないのにキモすぎ、死ねばいいのに

クラスのグループにこのメッセージが届いた時、目を疑いました。

個人宛に送るメッセージを間違えてグループに送ってしまったんだな

自分の心を守るために、そう言い聞かせていました。

しかし、それは誤って送られたメッセージなんかではありませんでした。

そのメッセージがグループに投下された直後、それに続いて次々と色んな人が誹謗中傷のメッセージを発信したのです。

本当にそうだよな、調子に乗りすぎ

頭悪いのに努力しても無駄でしょ

携帯を持っている手の震えが止まりませんでした。

今まで味方だと思っていた人の多くが、一夜にして敵になったのです。

翌日、目が覚めたぼくは、体が重くてしばらく立ち上がることができませんでした。

でも、ここで学校に行かなくなってしまったら負けた気がする

それだけは絶対に嫌だったので、なんとか立ち上がり、いつものように学校へ向かいました。

教室に着き、扉を開けると皆が一斉にこちらを向き、クスクス笑い始めました。

昨日の一件があったのに、よく学校に来れたな

笑い声とともに、そんな言葉が耳に入ります。

気にしたら負け、反応したら負け

ぼくはそう自分に言い聞かせ、何事もなかったかのように席に座り、勉強を始めました。

ぼくの席は窓際だったのですが、勉強をしているとなにかが前髪をかすめ、直後に大きな音を立てて窓に直撃しました。

見てみると、そこには先のとがったシャープペンシルが落ちています。

なにが起きたのか分からず、それが飛んできた方角を見てみると、そこには輪ゴムで作ったパチンコのようなものを持っているクラスメイトがいました。

おしい、あとちょっとだったのにな

そのクラスメイトは、そう口にしました。

なにをされても我慢しよう

そう心に決めていたのですが、流石にこれにはカチンと来ました。

もし当たっていたら……

そう思うと、怒りが止まりませんでした。

ぼくはシャーペンを飛ばしてきたクラスメイトに『自分がどれだけ危ないことをしたか分かっているのか』と注意をしました。

しかし、それがさらなる嫌がらせの引き金をひいたのです。

毎日のようにエスカレートする嫌がらせ。

靴ひもが切られていたり、画びょうが入っていたこともありました。

抵抗したところで、さらにエスカレートするだけです。

そこにはもう、楽しかったあの頃の学校生活はありません。

東工大に逆転合格してやる

その一言が、ぼくの学校生活を一変させたのです。

しかし、こうなったらもう後には引けません。

絶対に東工大に受かって、全員に土下座させてやる

この頃のぼくは、怒りと見返したい気持ちでいっぱいでした。


なに一つとして分からなかった2月から、2ヶ月が経ちました。

睡眠時間を削ってでも勉強していたぼくは、すこしずつ勉強に自信を持ち始めていました。

そして、ちょうどこの頃、ぼくと同じように成績が悪くて筑波大学を目指している同級生と仲良くなりました。

お互いに成績が悪いなりに励まし合い、一緒に勉強をして志望大学への合格を夢見ていました。

どちらかが得意な単元を教え合い、より上を目指してともに受験と戦っていました。

どんどん学力が身についている

そう感じていました。


筑波大志望の同級生と切磋琢磨し始め2ヶ月が経った頃、学校でマーク模試がありました。

高校二年2月から始めた受験勉強。

ここまでの間、勉強以外のものはすべて犠牲にしてきました。

そのため、この時のぼくは自分の学力にそこそこ自信を持っていました。

今までの努力の成果をここで出して、嫌がらせをしてくるやつら全員を見返してやる

固く決心をし、ペンを握りしめて模試を受けます。


6月に受けた模試が返ってきました。

結果は、書いた大学すべてがE判定。

4ヶ月間やり込んだ勉強も、結果には表れませんでした。

自分の成績にショックを受けていた時に、ふと気になりました。

筑波大志望の彼は、どうだったんだろう

早速、結果を聞きに行きました。

模試の判定を見てみると、筑波大学B判定。

同じような成績から、同じように勉強を進めてきた彼は、たった2ヶ月あまりで成果を出したのです。

それぞれの科目の得点も、ぼくより何十点も上でした。

『すごいな、よくこんな短期間で伸ばしたな』

彼にそう声をかけつつも、心の中は嫉妬と悲しみでいっぱいでした。

やっぱり自分はセンスがないんだ

色んなものを犠牲にしてまで勉強したのに

このまま続けていても報われることはないのかもしれない

不安とイライラと嫉妬で、頭がおかしくなりそうでした。


この時期になっても、相変わらず成績は振るいません。

どんどんストレスだけがたまっていきます。

そして、この頃から親と喧嘩をすることが増えてきました。

ぼくは親に模試の成績を見せたことはなかったのですが、親はなぜか成績を知っていました。

ぼくが出かけている間にこっそりと勉強机をあさり、模試の結果を確認していたのです。

模試の結果が原因で、親同士の言い争いも増えてきました。

もう頼むからほっといてくれ、もう構わないでくれ

勉強中も聞こえてくる口喧嘩に、イライラが止まりませんでした。

そして、ついには勉強にも集中できなくなりました。

相変わらず続く学校での嫌がらせ、自分よりも早く成長する勉強仲間、家での口喧嘩と親からのダメ出し。

こうして、学校にも家にも、ぼくが心落ち着いていられる場所はなくなりました。


心に限界が近づいてきました。

もう無理だ、苦しい、やめたい

いっそのこと、このままこの世界から消えてしまったら、どれだけ楽なんだろう。

このまま朝になっても目が覚めなければ、どれだけ救われるんだろう。

毎日祈るように考えていました。

考えるたびに、涙が止まりませんでした。

しかし、周りに宣言までして目指した目標。今さらやめることはできません。

こんなにも苦しい思いをしてやめてしまったら、本当に自分は空っぽになってしまう

皮肉なことに、絶望が努力の継続の支えになっていたのです。

この頃のぼくは、ストレスも不安もピークでした。

それでも、とにかくイスに座って参考書を開いて、すこしでもいいから勉強を続けよう

そう自分に言い聞かせながら、机に向かっていました。

じつは、この『少しだけでもいいから』という考え方が、非常に重要だったのです。

そのおかげか、ストレスや不安は大きかったですが、勉強だけは継続することができました。


この時期から、ようやく一筋の希望が見えてきました。

マーク模試で8割を超える科目がポツポツと現れてきたのです。

今まで記述模試はもちろんのこと、マーク模試ですら点数を取ることができていませんでした。

やっと今までの成果が出てきた

これまで、自分は勉強しても意味がないタイプなのかもしれないと、どこかで自分に幻滅していたため、本当に心から喜びました。


この頃には、マーク形式のテストでは総合で8割以上を取る力が身についていました。

もうすべて辞めてしまって、何もかもから逃げよう

そう絶望していた9月になんとか踏ん張った成果が出たのです。

そして、成績が上がってくると、自分にも自信がついてきました。

勉強へのストレスも減り、人に対する過度な嫉妬心もなくなりました。

嫌がらせをしてきていた同級生たちも、手のひらを返したかのように優しくなり、仲が元通りになりました。

この頃には『全員を見返してやる』という怒りの感情よりも、純粋に東工大に行きたい気持ちの方が大きかったです。


とうとう長かった1年が終わり、受験本番がやってきます。

実力はまだまだ足りていないという気持ち半面と、なんだかんだ運よく受かるんじゃないかという気持ち半面。

そんなどこか自信のある心持ちで二次試験会場に向かいました。

それでは、始めてください

開始の号令とともに、一斉に紙をめくる音が試験会場に響き渡ります。

問題に目を通し、どんな内容が出ているのか、ざっくりと全体像を把握してから順に解き始めます。

あれ、思っていたよりも分かるかも

最初に問題を見た時、そう感じました。

過去問や東工大オープンの問題を見ていた頃と比べると、意味のわからなさが多少なりともマシだったからです。

時間いっぱいまで何度も回答に目を通し、とうとう号令とともに試験が終了しました。

なんか、思ったよりも自信あるかも

これが、試験を終えた直後の感想でした。

もしかしたら受かっているかもしれない

そう期待を抱きつつ開いた合格発表ページには、ぼくの受験番号はありませんでした。

できた気がしていたのは、ただの実力不足による勘違いだったわけです。


ここから浪人生活が始まります。

しかし、順調にスタートできたかというと、そういうわけではありません。

あれ、おれって本当に落ちたんだっけ

これからどうすればいいんだっけ

寝て起きたら、まだ1月とかないかな


夢であって欲しいという思いから、現実を受け入れられなくなったのです。

毎日のように頭がふわふわしていて、何をしていてもまったく手につきませんでした。

1〜2週間経った頃、ようやく”これは現実なんだ”と受け入れることができ、そこから本格的に合格に向けて立ち上がります。

現役時のどこがいけなかったのか、改善が必要だと感じていたのにやらなかった理由は何か、どうしたらやりたくないを乗り越えられるか。

今度こそ確実に受かるために、合格に必要なことはなんでもやりました。

一度落ちたことで、どこかで思っていた”おれなんかが…”という気持ちが消え去り、芯から覚悟が決まったのです。

毎日のように図書館に通い詰め、しんどかろうとめんどくさかろうと

いま耐えれば将来の消えない結果が手に入る

どうせ今のつらさなんて時間が経てば忘れる


そう思いながら、自分を鼓舞してひたすら勉強と向き合いました。

もちろん、“他の人はもう大学に行っているのに…”とやるせなさを感じる時も、しんどくてもうやめたいと感じる時もありました。

しかし、自分が叶えたいことはそのしんどさの先にしかない。

こうして本番まで淡々と勉強を続け、1年間の浪人生活の末、無事に東工大に合格することができました。


正直、浪人生活は生まれて18〜19年間の中で最もしんどかった期間でした。

それと同時に、生まれて初めて自分自身と真剣に向き合い、性格や心理を分析できた、最も思考と精神が成長した期間でもありました。

この時の”しんどい時期を耐えたんだ”という自信と経験は、大学受験や勉学だけでなく、その後の人生にも大きく影響しました。

大学に入ってからサボり癖が再発して下から4番目だった成績が、院試期間の1ヶ月の勉強で150人中上位10位以内に入ることができたり

東大京大東工大の院卒クラスがメインで受ける就活のケーススタディやプレゼンで何度も1位を取ったり

その中でも数枠しか入れない採用枠を勝ち取ったり

組織のベテランが任される中核業務のチーム責任者に抜擢されたり

初心者の個人が伸びすのが難しいとされる、エンタメ系ではないYouTubeで多くの人に自分の経験を届けられたりと

受験で身についた考え方と耐え抜く覚悟が、勉学以外の経験にも大きく影響しました。

人よりも理解が遅く”なんでわからないの”と言われたことも何度もあった中学時代の自分。

勉強から逃げ続けた結果、親から”一般的な進路はもう期待してない”と言われた高校時代の自分。

そして、”自分の人生なんてもうどうでもいい”と吐き捨てた高校2年時の自分。

あの頃の自分からでは想像できないくらい、挑戦と継続ができる自分に変わりました。

この一連の受験経験談を通して皆さんに伝えたいことはたった1つ。

もしかしたら、今は成績が振るわないかもしれません。

志望大学を人に話して、バカにされたことがあるかもしれません。

受験があまりにもつらくて、絶望することがあるかもしれません。

でも、すこしだけでもいいので、完全にやめないでください。

1分でもいいです、1秒でもいいです。

どんなにつらくても、すこしでもいいので毎日続けることを意識してください。

そして、合否という結果はもちろん大切ですが”受験をきっかけにどんな自分に変わったか”を大切にしてください。

それが、最終的な受験の合否にも、それ以降の人生という長い道のりにも活きてくるので。

では、いつの日にか『あの時やり続けてよかった』と思える瞬間が来るまで、一緒に人生を変える受験経験をしましょう。